松江堂薬局の漢方でなんとかしたい!

中医学講師30年。漢方や中華圏の文化とか書きます。

張角からいろいろ考える(こころと漢方)

 後漢の末期、張角は自らを「大賢良師」と名乗り、符水咒(ふすいしゅ)を用いて病気を治し、弟の張寶、張梁と共に「太平道」という道教の教団を組織します。この教団が黄巾の乱を起こしいよいよ三国志の時代がスタートします。
 中国史の中では時代の一つの通過点にすぎないかもしれないし、医学史の中でも加持祈祷、シャーマンということでかたずけられてしまってきた張角について「中医心理学」の立場からいろいろ考えてみたいと思います。
 《後漢書皇甫嵩伝》では張角について「多くの病人が治ったのは百姓(大衆)がこれを信じたからである」と紹介しています。張角の行った道教儀式は中医心理学では「心理療法」と考えられ「祝由(しゅくゆう)療法」と呼んでいます。祝由とは《黄帝内経素問・移精変気論》に出てくる言葉です。「いにしえの病を治すには、ただ其の精を移し気を変じ、祝由して已(癒す)べし」「祝」は神を祭って願い事をするの意味です。
 精とは病人の精神(こころ、思考)のこと。王冰(唐代)の解釈によれば「精神を移し変え改める」意味になる。王冰はまた「移精変気は毒薬を使わず病の原因を祝説して針石を用いずに癒える」と述べています。古代では薬効のある物質を「毒」と言っていました。針石は鍼灸治療のことですね。
 ここで一旦整理しますと祝由療法とは発病の原因を祝説(神霊に通じるふりをして厄払いをして病人の苦痛を取り除く)して病人の精神(こころ)を安心させて病気を治療する方法です。祝由療法は具体的なアプローチのしかたから「移精変気」療法とも呼ばれます。
 張角は罪を懺悔告白し、お札と霊水を飲み、神に許しを乞う願文を唱えると病が治ると説いたのですが、発病の原因は今まで犯してきた罪であると[診断]し、懺悔告白し、お札と霊水を飲み、・・・[治療法]を提案していたのだと思います。
 しかし心理療法はクライアントさんが治療者を信じていなければ成り立ちませんね。張角は神霊という権威を用いて患者を信用させ精神を動かしていました。そのためには神秘的な儀式が必要でした。患者さんから見れば神霊が病気を治してくださると考えるのですが、移精変気療法では道士が唱える経や鐘の音、お香の匂いが聴覚、嗅覚を刺激して体の気血陰陽のバランスを整え患者さんの意識の内省化(思考がだんだんと変化してまとまっていく)していったのだと思います。
 この療法は古今東西で見られますが危険性は邪教に利用されやすいことです。《黄帝内経 霊枢・賊風論》では黄帝が「なぜ祝由で病気は癒えるのか」と医師の岐伯に問うています。岐伯は「一定の医学知識があり疾病の原因を理解している者が祝由で治療することができます」と答えています。すべての疾病が祝由療法で治すのではなく疾病の原因を理解する能力がある者が適切に用いれば効果があるということでしょう。
 祝由療法の適応は猜疑心があり、妄識幻想、驚恐迷惑、情志不遂など精神情志面での疾病あるいはごく軽症でこころの負担を取り除くことで精神が移り治癒できる場合でしょう。
 《黄帝内経 素問 移精変気論》では「邪気が、内は五臓、骨髄まで侵入し外は孔竅、肌膚を傷害する。・・・故に祝由の方法では病気を治すことができなくなってしまった」と述べています。
 張角が登場したのは後漢の末期で社会が不安定な時代です。精神面から疾病になる人が多かったのではないかと推測します。しかしそれ以外の病気については治すことができなかったのですが彼はそれは信心が足りないからだと言い、逆にどんどん教団は大きくなっていきました。
 日本では寛仁二年(1018年)に東宮敦良親王マラリアに発病しました。マラリアは往来寒熱といい高熱が出たり退熱したりします。園城寺の叡効が加持したところたまたま熱が出ない。喜んだ道長は彼を権律師に任じて馬を与えます。ところが叡効が退出してすぐにまた高熱が出てしまいました。いまさら恩賞を取り消すわけにもいかず道長は当日の日記に「せん方を知らず」(しかたがない)とたった一行書きなぐっています。
 
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 現代でも病院で診断がつかず原因がわからないままで不安な患者さんがたくさんいます。現代医学的なアプローチで原因がわからずしたがって治療法も見つからない方々がスピリチャアルや祈祷、占い、パワーストーンなどに救いを求めるのは自然であり、単に迷信とかたずけるべきではありません。

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道教の儀式です